精神性「概念と認識と観念」 ~ 進化の螺旋 ~
知恵の実を持つ人間は人間のみが持ちうる精神性を持つ
人間は生きていく上で
精神性に大きく関わる「概念と認識と観念」を持つ、或いは持たされる
1つずつ丁寧に分析して見ていこう
まずは概念から
概念とは
ー 本質的特徴により区別された事物の類、また類別する思考様式。
私がなぜエヴァンゲリオン考察を用いて認識の共有を図っているかと言えば
今人類世界に起きていることを概念的に理解しやすいからだ
エヴァンゲリオンを通して今起きている事象をエヴァンゲリオンを通して
概念的になぞり捉えていくことができる
次に認識、何が起こっているのか分からなければ認識も変わらないままだ
認識とは
ー 認め知ること。物事をはっきり知り、その意義を正しく理解・弁別すること。
エヴァ考察は抽象的ではあるがそれが本質に繋がっていれば根本的理解となりうる
エヴァ考察を通して事象の輪郭をなぞり概念として理解することが
認識の更新、向上、それを引き上げることに繋がる
自分で持っているもの、誰かに持たされるもの
これが観念である
観念とは
ー 心静かに智慧によって一切を観察すること。また一般に、物事を深く考えること。
固定観念とは
ある人の心中に潜在して、つねに念頭を離れず、外界の動きや状況の変化によっても変革することが困難である考え
≫人類はもう一度観念を大切に抱くことを見直す必要がある
普通に生きていれば何かについて深く考えることはない
しかし深く考えることが精神を鍛え成長させる
「ま、いっか」で済ませていけばそのしっぺ返しがいつかやってくる
今人類の民に迫っている人類を抑制している事象はそのしっぺ返しではないか
もちろん観念、何かについて深く考えることは意志の強さも求められる
固定観念という言葉があるが
これは普通に生きていれば人間にとって最も身近な存在と言えるだろう
ある意味では先入観やイメージとも言える
あの人ならあんなことしそう、こういうことする人はあんなことしがちの悪い人
こういったことで今生きる者達は頭が一杯とも言える
しかし、引用した固定観念の言葉の意味にも書いてある通り
こうした事が
外界の動きや状況の変化によっても変革することが困難である状況を引き起こす
これは誰しも心当たりのあることなのではないか?
これこそが認識の更新・向上を遅らせる大きな要因となっている
自分で持っているもの、誰かに持たされているもの
人間とは集団に属し相対的な存在でもある
世俗的なことばかりに染まってしまい今起こっていることについて考えられない
多少耳が痛いかもしれないが続けさせて頂く
人々は抱いた観念のままに生きていると言ってもいい
しかしネット・SNSの話題やメディアの伝達で持たされていることもある
それが自分で持っているものと誰かに持たされているもの
自分で大事に持っているものすら誰かに持たされているものかもしれない
だから時には自分がどういう先入観や固定観念を持っているか見直すことも大切だ
なぜなら持たされているそれらが概念的な理解や認識の更新・向上を遅らせることに繋がるから
≫今人類に何が起こっているのか全てを理解できないからこそ外側ではなく
内側から人間の精神性、そして事象を見直していく
今人類に求められているのはそういったことなのではないか
であるならば人々は拘りすぎた固定観念を己で解放し概念理解を高め
認識を自分の力で引き上げる必要がある
そうでなければ今何が自分の身に起ころうとしているかが理解できなくなってしまう
人類の持つ知恵の実たる精神性をもう1度見直し
概念的に事象をなぞりながら今起きてることを把握し本当の未来を見据えよう
これがこのブログの主題でありメッセージでもある
概念と認識と観念が描く進化の螺旋
ここまで説明してきたがこれら3つの言葉が相互に影響を与え合っている事が分かる
概念として理解することが認識を更新・向上させ拘ってきた観念を見直させる
逆に言えば偏った観念を持ち続ければ概念理解を阻害し認識向上を妨げる
この3つは相互に関係し合っている、そして精神性に繋がっている
それは人間という存在にとって根幹と言ってもいい重要な精神性である
それを大切に見直してみないか、という提案が今日のメッセージだ
美味しいものを食べて世俗に浸かり固定観念で野次り労働に勤しみ続ける
それも1つの生き方だ、しかしそれだけでは人間の本質的な成長は見込めない
もう1度思考を柔軟に相対性ではなく絶対性を持って本質的な成長を問い直す
精神性を支える概念と認識と観念
1人1人が意識することで人間はさらに精神性を持って成長できるはずだ